札幌地方裁判所 昭和59年(ワ)666号 判決 1989年1月31日
原告
三上市三郎
右訴訟代理人弁護士
山中善夫
被告
国
右代表者法務大臣
高辻正己
右指定代理人
坂井満
同
岩崎守秀
同
山本斐一
同
亀井健二
同
北野隆雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金七六九万七一九九円及び内金一一七万三三〇九円に対する昭和五三年一月一日から、内金一八九万四四二四円に対する昭和五四年一月一日から、内金二七九万三二四五円に対する昭和五五年一月一日から、内金一六五万七五三二円に対する昭和五六年一月一日から、内金一七万八六八九円に対する昭和五六年二月一日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 予備的に仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の職歴
(一) 原告は、昭和二二年五月二五日、郵政省の職員として採用された。宗谷支庁管内浅茅野郵便局(以下「浅茅野局」という。)の郵便外務業務等(郵便物の配達、取集め、電報の配達、貯金保険の集金及び募集等)に従事した。昭和二七年三月七日、行政整理のため辞職したが、その後も、請負契約により浅茅野局の郵便物集配業務に従事した。
(二) 原告は、昭和三八年一月一日、郵政省の職員として再び採用され、浅茅野局の郵便外務業務等に従事した。そのころから、軽オートバイ(以下「バイク」という。)に乗務するようになり、昭和五〇年七月、太美郵便局(以下「太美局」という。)に配置換えになり、昭和五六年一月、退職した。
(三) 原告は、昭和三八年ころから休職する昭和五〇年一一月四日までの間、バイクに乗務していた。
2 公務上の災害
(一) 原告は、昭和四九年秋ころから、背中、腰、両肩、腕、手首などに痛みなどを覚え、その後、症状は、悪化して行った。
(二) 右各症状は、バイク乗務に起因する振動障害である。
(三) 原告は、昭和五〇年一一月五日から昭和五一年三月六日までの間及び同年四月八日から退職するまでの間、休職した。
(四) 右休職は、前記振動障害を原因としており、原告は、公務上の災害により休職したものである。
3 給与請求
(一) 郵政省の職員(公共企業体等労働関係法の適用を受ける職員に限る。)は、関係労働組合との協定により、公務上の傷病(国家公務員災害補償法(昭和二六年法律第一九一号)に基づき公務上の災害と認定されたもの。)により休職したときは、その休職期間中、給与の全額を支給される旨定められている。
(二) 原告は、右協定の適用を受ける職員であった。
(三) したがって、原告は、次のとおり、昭和五一年四月八日から昭和五六年一月五日までの間の受けるべき給与額と実際に支給された給与額との差額金合計七六九万七一九九円を請求できるというべきである。
4 よって、原告は、被告に対し、未払給与金七六九万七一九九円及び内金一一七万三三〇九円に対する弁済期の経過した後である昭五三年一月一日から、内金一八九万四四二四円に対する弁済期の経過した後である昭和五四年一月一日から、内金二七九万三二四五円に対する弁済期の経過した後である昭和五五年一月一日から、内金一六五万七五三二円に対する弁済期の経過した後である昭和五六年一月一日から、内金一七万八六八九円に対する弁済期の経過した後である昭和五六年二月一日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2(一)の事実は不知、同(二)は争い、同(三)の事実は認め、同(四)は争う。
3 請求原因3(一)及び同(二)の事実は認め、同(三)は争う。
三 被告の主張
1 公務上の災害とは、公務に起因し、公務と一定の明確な事由によって媒介された因果関係によって発生したものをいうのであって、原告主張の各症状は、以下のとおり、公務上の災害に該当しないことは明らかである。
2 振動障害の認定について(略)
3 原告の疾病の経緯
(一) 原告は、昭和四九年から昭和五〇年一〇月までの間、病気休暇を申請していない。
(二) 原告は、昭和五〇年一一月五日、「立ちくらみ、胸のくるしみ」などの症状を訴え、札幌逓信病院の診察を受けたところ、起立性低血圧症、心不全疑い、と診断され、翌同月六日、同病院に入院し、同月一八日には、同病院を退院した。
(三) 原告は、以後、別紙表(略)(1)のとおり、二十数か所の医療機関を転医して入退院を繰り返した。この間、昭和五一年三月八日から同年四月八日まで出勤して局内作業に従事したほかは、休職しており、バイクに乗務していない。
記
<省略>
(四) 原告は、昭和五二年一二月二一日、北海道大学公衆衛生学教室の若葉金三医師(以下「若葉医師」という。)に「振動障害」と診察された。原告は、右若葉医師の診断を根拠に、昭和五三年三月二〇日、公務上の災害の申立てをした。
(五) 北海道郵政局長は、原告の業務内容などの事実関係を調査し、同年八月二八日、原告に岩見沢労災病院での検査を受けさせた。同病院の山口貢医師外三名の医師は、「バージャー氏病疑い、五十肩」と診断した。
4 原告の疾病が振動障害に該当しない理由
(一) 前記基発第三〇七号通達下記2によると、振動障害と認定するためには、次の(1)又は(2)の要件のいずれかに該当することが必要である。
(1) 手指、前腕等にしびれ、痛み、冷え、こわばり等の自覚症状が持続的又は間けつ的に現れ、かつ、次のアからウまでに掲げる障害のすべてが認められるか、又はそのいずれかが著明に認められる疾病であること。
ア 手指、前腕等の末梢循環障害
イ 手指、前腕等の末梢神経障害
ウ 手指、前腕等の骨、関節、筋肉、腱等の異常による運動機能障害
(2) レイノー現象の発現が認められた疾病であること。
(二) 昭和五三年八月二八日の岩見沢労災病院の検査によれば、原告には末梢循環系、末梢神経系、運動機能の障害が認められている。
しかし、末梢循環系の検査結果は、次のとおりであり、障害は軽いものであった。
(1) 皮膚温
<1> 常温下の皮膚温 正常
<2> 冷却負荷中の皮膚温の低下 有
<3> 冷却負荷後の皮膚温の回復遅延 有
判定 障害軽度
(2) 爪圧迫
<1> 常温下回復遅延 無
<2> 冷却負荷後の回復遅延 有
判定 障害軽度
(3) 指尖容積脈波 波高正常
更に、末梢神経障害のうち、痛覚、振動覚の障害は中程度(温覚、冷覚は正常)であり、運動機能障害も中程度である、とされているが、これらの検査は、被検者からの情報に頼らざるを得ず、被検者の恣意が入る余地がある。
(三) レイノー現象の発現が認められるか否かについては、「医師が視認又は客観的な資料によってその発現の有無について判断したところによる。」とされている(前記基発第三〇七号通達解説4のハ)。
ところが、原告については、医師が視認又は客観的な資料によってその発現の有無を判断したわけではない。原告の申立てがあるだけである。しかも、右申立ては、原告が若葉医師により振動障害と診断された昭和五二年一二月二一日の検査の際に、「二か月前から両手が白くなる。」と申告されたものである。
原告は、昭和五〇年一一月からバイクに乗務していない。それから約二年後の昭和五二年一〇月ころになって、初めてバイクによる振動の影響としてのレイノー症状が発現することはあり得ない。振動障害は、振動が生体に負荷されたことにより生体が変化し、振動負荷が中断されても、その変化が長く続く症状を指すものである。二年近く振動工具を使用していないのにその症状が発現するのは、類似の症状を呈する他の疾病とみるべきである。
(四) 原告は、前記のとおり、札幌逓信病院で診察を受けた昭和五〇年一一月五日から昭和五二年一二月二一日までの間、二十数か所の医療機関で診断を受けているが、診断名は、別紙表(1)病名欄記載のとおり多数にのぼり、労働省で定められた検査法に従って検査した岩見沢労災病院は、バージャー氏病疑い、五十肩と診断したのに対し、振動障害を肯定したのは、若葉医師一人に過ぎない(もっとも、昭和五二年四月五日の勤医協札幌病院は「振動障害の疑い」と診断している。)。
若葉医師は、昭和五二年六月一六日にも原告を診察し、脊髄あるいは中枢神経系における障害が考えられる、と診断している。同年一二月二一日の検査においては、両手にレイノー症状の発現があったとするほかは、同年六月の検査結果とほとんど同じでありながら、振動障害と診断したもので、前記のとおり、この時点で振動障害によるレイノー現象が現れることは考えられず、若葉医師の診断には、疑問がある。
5 以上のとおり、原告には振動障害としての他覚的所見が明らかとはいえないこと、レイノー現象の発現は考えられないこと、バージャー氏病疑い、五十肩のほか多数の症病名で診断を受けていること、昭和五〇年一一月からバイク乗務を中止し、適当な治療を受けてきたにもかかわらず、その主訴する症状が持続し、加齢とともに悪化さえ窺われることを併せ考えると、原告の疾病は振動障害ではなく、他の私傷病又は加齢によるものというべきである。
四 被告の主張に対する原告の認否及び反論(略)
第三証拠(略)
理由
第一 事実関係
一 原告の職歴
請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 原告の勤務内容及び勤務環境
(証拠略)、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨、前記当事者間に争いがない事実を総合すれば、次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は、その余の前掲各証拠に照らしてたやすく信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、宗谷支庁管内浅茅野局に再採用され、昭和三八年ころから、バイク乗務を始め、郵便外務員として勤務した。
2 昭和三八年から昭和四八年ころまでの浅茅野局の郵便外務員の勤務体制は、おおよそ次のとおりであった。
(一) 浅茅野局の外務員は、郵便物の集配のほか、貯金、保険の勧誘、集金、放送受信料の集金、電報、速達郵便の配達等を輪番制で担当した。貯金、保険の勧誘、集金、放送受信料の集金は、一か月で交替し、その他の担当職務は一日交替であった。
(二) 浅茅野局の郵便物集配区域は、市内区と市外の四区からなっていた。
(1) 市外一区の走行距離は、約二六キロメートルで、道路には浜砂利が敷かれており、昭和四六年五月に新国道が完成した(新国道完成まで、冬期間は列車を利用して集配していたので、それまで冬期間にバイクに乗務することはなかった。)。新国道部分八キロのうち、約一キロが未舗装であったが、一年半ほど後には舗装された。
(2) 市外二区の走行距離は、往復約三三キロメートルで、その後、集配区域の変更により往復一五、六キロメートルになった。そのうち約四キロメートルは、泥炭地で、丸太を横に並べた上に土をかぶせた道路であった。冬期間は、無人となるため、郵便物の集配はなく、夏期間も、毎日配達するほどの郵便物はなかった。同区は、昭和四八、九年ころ、廃止された。
(3) 市外三区の走行距離は、通常往復二四、五キロメートルで、遠隔地の家まで集配する場合は、約三〇キロメートルになった。道路は未舗装であり、砂利も敷かれていなかった。昭和四六年七月ころ、約一一キロメートルの道路が舗装された。
(4) 市外四区の走行距離は、往復約二四キロメートル程度で、道路は未舗装で、砂利が敷かれており、冬期間は、スキーを使用して集配を行った。昭和四五年ころ、廃止された。
(三) 浅茅野局の外務員は、昭和三八年度から昭和四三年度まで八名いた。昭和四四年度に七名となり、昭和四五年度から昭和四八年度までは、六名であった。
(四) 浅茅野局には、昭和三八年から、三台のバイクが配置され、昭和四三、四四年には、配置台数が四台となった。しかし、昭和四五年からは、再び三台に減った。
3 浅茅野局の郵便物集配区域の市外二区と四区が廃止され(ママ)のに伴い、郵便外務員の勤務体制は、次のようにかわった。
(一) 浅茅野局の郵便物集配区域は、市内区と市外一区及び二区になった。
(1) 市外一区の走行距離は、平均約三五キロメートルとなった。
(2) 市外二区の走行距離は、平均約三六キロメートルとなった。
(二) 原告を含む六人の外務職員が、主に市内と市外一区及び二区の郵便物集配業務を輪番制で担当し、そのほか、貯金保険外務業務を担当したが、時折、電報、速達配達業務もあった。
4 原告は、市外各区の郵便物集配業務、電報、速達配達業務及び貯金保険外務業務に就くときは主としてバイクを使用した。市内区の右各業務に就くときは主に自転車を使用したが、状況によりバイクを利用したり、徒歩による場合もあった。市内区の集配の場合には午前七時三〇分に、市外区の集配及び貯金保険の場合は午前八時三〇分に、電報配達の場合は午前一〇時に出勤した。市外区の集配作業の場合、午前九時ころ、遅くとも午前九時三〇分までには局を出発し、午後一時三〇分ころ、遅くとも午後二時までには帰局した。市内区における所要時間は、市外区の場合より短時間であった。電報、速達配達業務における所要時間は更に短時間であった。
5 昭和四九年八月一日から昭和五〇年七月一六日までの原告のバイク乗務従事時間は、別紙表(2)のとおりであった。
6 浅茅野局の過員を解消するため、原告は、昭和五〇年七月、石狩支庁管内の当別町にある太美局に転勤を命ぜられ、太美局でも郵便外務員として勤務した。
7 太美局の郵便外務員の勤務体制は、おおよそ次のとおりであった。
(一) 太美局の郵便物集配区域は、市内区と市外の三区からなっていた。
(1) 市外一区の走行距離は、平均約三二キロメートルであった。
(2) 市外二区の走行距離は、平均約三二キロメートルであった。
(3) 市外三区の走行距離は、平均約三八キロメートルであった。
(二) 原告を含む六人の外務員が市内区及び市外区の集配業務を輪番で担当し、市内区を担当する場合は、一日二回の当別郵便局への郵便物運送作業も行ったが、時折、貯金、保険外務業務も担当した。
8 原告は、市外各区の郵便物集配業務にはバイクを、市内区の郵便物集配業務には自転車を、郵便物運送作業には軽四輪車を使用した。
9 昭和五〇年七月一六日から同年一〇月までの原告のバイク乗務従事時間は、別紙表(3)のとおりであり、原告は、休職した同年一一月四日までの間、バイク乗務をした。
三 原告の発病、診断歴
被告の主張3の(一)ないし(五)の事実並びに岩見沢労災病院の検査結果によれば原告に末梢循環系、末梢神経系、運動機能の障害が認められたこと及び原告が別紙(1)病名欄記載の診断名で診療をうけたことは、当事者間に争いがない。
(証拠略)、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨、右の当事者間に争いがない事実を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告は、大正七年五月五日生まれで、かつて軍隊に所属していたが、昭和一四年六月ころ、右足のかかとを馬に踏まれて、陸軍病院に入院し、その後昭和一六年三月除隊し、昭和一九年再招集を受けたのち、右足が痛み始め、約四か月再度陸軍病院に入院したことがあった。
2 原告は、昭和二二年に郵政省の職員として採用されて以降、職場の定期健康診断で体の異常を訴えたことはなかったし、病気休暇を申請したこともなかったが、昭和五〇年一一月四日、郵便の集配中に脈拍に変調を来し、息苦しく感じたため、近くの加藤内科病院で診察を受け、翌同月五日、札幌逓信病院の診断を受けた。
3 原告は、札幌逓信病院で「立ちくらみ、胸のくるしみ」などの症状を訴え、起立性低血圧症、心不全疑いと診断されて、逓信病院に入院し、同月一八日、同病院を退院した。
4 原告は、同月二二日から、札幌斗南病院に通院した。札幌斗南病院では、虚血性心疾患、上気道炎あるいは慢性気管支炎(急性増悪期)と診断された。
5 原告は、同年一二月一一日、百石医院で診察を受け、黄疸と診断された。翌同月一二日、札幌同交会病院に入院した。札幌同交会病院では、肝機能障害及び不整脈、あるいは急性肝炎、鉄欠乏性貧血と診断された。
6 原告は、札幌同交会病院を退院し、昭和五一年三月八日から職場に復帰し、局内勤務となり、バイクには乗っていない。ところが、同年四月八日ころ、職場で動けなくなって、同月九日、札幌南逓信病院の診察を受け、肝機能異常、貧血と診断され、同月一〇日同病院に入院し、同年五月六日ころ、札幌南逓信病院を退院した。
7 原告は、翌同月七日、札幌南逓信病院の紹介で北海道大学医学部附属病院の診察を受け、レントゲン写真を撮影され、頸椎後縦靱帯骨化症と診断され、担当医から頸椎専門医の治療を受けるよう指示された。このとき、一連の経過中で初めて、身体の痛みを伴う傷病名が原告の病状の診断名として付された。
8 原告は、同月一〇日、工藤整形外科医院で診察を受け、円背による項背筋痛、骨租鬆症と診断された(同年六月一〇日には、変形性脊椎症、両側根性坐骨神経痛の病名が加わった。)。昭和五二年七月まで、工藤整形外科医院に通院し、その間、内服、外用、注射による投薬、変形機械矯正術の治療を受けた。
9 原告は、工藤整形外科医院に通院しながら、次のような病院の診察、治療を受けた。
(一) 昭和五一年五月二〇日、同交会病院において、肝機能障害疑い、低色素性貧血、下部消化管出血との病名で採血等の検査を受けた。
(二) 同年七月二一日、工藤整形外科医院の紹介でとくら小児科の診察を受け、急性肝炎の疑いで検尿検査を受けた。この時、原告は、胸背の痛み、圧迫感、どうき、身体のだるさ、上肢のしびれ、手指の運動の鈍さ、歩行困難、頭痛、視力減退、記憶力低下、いらいら感、舌のもつれ等の症状を訴えた。
(三) 同月二一日、とくら小児科の紹介で岡嶋神経クリニックの診察を受け、うつ病、脳動脈硬化症、頭部外傷と診断された(同年九月八日、パーキンソンニスムスとの病名が加わった。)。岡嶋神経クリニックにも、昭和五二年七月まで通院している。
(四) 昭和五一年七月二一日、岡嶋神経クリニックの紹介で能戸眼科の診察も受け、急性結膜炎、遠視と診断された。
(五) 同年九月一〇日、尿の出が悪かったので、佐藤病院の診察を受けた。前立腺肥大症と診断され、治療を受けた。
(六) 同月一一日、西谷皮膚科医院の診察を受けた。(頭)、蕁麻疹様苔蘚(両上肢)、血管炎と診断されて治療を受け、同月二四日には、治癒した。
(七) 同年一〇月二六日、光星内科クリニックの診察を受け、肝炎疑い、不整脈、心不全疑い、甲状腺機能亢進症疑い、腎盂腎炎と診断され、更に、同年一一月一四日の診断では、脳動脈硬化症、うつ病、前立腺肥大、水腎症疑い、尿道狭窄の診断が加わった。
(八) 前立腺肥大症の検査、治療のため、同年一一月、中野医院、斗南病院、国立札幌病院、及び市立札幌病院に通院した。
(九) 昭和五二年一月一一日、西谷皮膚科医院の診察を受け、中毒疹の疑い(全身)、急性腎盂炎と診断され(同月一九日、接触皮膚炎(陰のう)との診断が加わった。)、治療を受けている。
10 原告は、同年一月一七日、北海道大学医学部附属病院登別分院の診断を受け、頸椎後縦靱帯石灰化症、変形性関節症(脊椎、膝、手関節)、動脈硬化症兼脳動脈硬化症と診断され、同月二五日から同年三月二〇日まで入院し、詳細な検査を受けた。
11 原告は、昭和五二年四月五日、勤医協札幌病院の診察を受けた。頸椎後縦靱帯骨化症、振動障害の疑い、右肩ひじ手関節拘縮、肝機能障害疑い、Mタン白血症、胸部疾患疑いと診断された。
12 原告は、次のような経緯で振動障害との診断を受けた。
(一) 昭和五二年五月一二日、社団法人労災・職研センターの健康調査を受けた。その際、原告は、頸部、背部、前胸部、両上肢のだるさ、痛み、しびれが一年位前から続いている、と説明し、特に、後頭部、両肩、両ひじ、両手首、両ひざ、両足首のだるさ、痛み、しびれが変わりなくある、と訴え、第三ないし第五指には、白ろう症状及び痛み、しびれがでる、と申し出た。循環機能検査として、皮膚温と痛覚が調べられ、筋力、敏捷性も検査された。
(二) 北海道大学医学部公衆衛生学教室の若葉金三医師は、同年六月一七日、原告を診察し、手指、上肢を中心とした振動障害というよりは、脊髄あるいは中枢神経系における障害が考えられる、と診断した。
(三) 同年一二月二〇日、社団法人労災・職研センターは、原告に関する検査所見をまとめた。その所見には、原告は、自覚症状として、二か月前から両手が白くなる、白くならないときでもしびれる、頭や腰などが痛む等の自覚症状が記載された。診断所見として、爪の変化、指の変形、手の皮膚の異常、筋萎縮、上肢全体の状態、遅発尺骨神経麻痺の有無、上肢の関節可動域と運動痛等を検査し、常温下での機能検査として、末梢循環機能検査(皮膚温に左右差があった。)と末梢神経機能検査(痛覚、振動覚とも異常があった。)とを行い、運動機能検査として、握力、つまみ力、タッピングを調べた。しかし、冷却負荷による機能検査としての末梢循環機能検査と末梢神経機能検査は、実施の支障となる事由のあることは明らかでなかったのにもかかわらず、実施されなかった。
(四) 若葉医師は、右検査結果をもとに、同月二一日、前回(同年六月一七日)検査に比べて肩関節の運動障害が軽快しているが、そのほかの検査成績は不変で、末梢循環障害軽度、末梢知覚障害高度、右遅発性尺骨神経麻痺疑い、肩、肘関節障害、筋力低下高度などの振動障害の所見多く、錐体外路障害を思わせる振戦等は脊椎に対する振動の影響と考えられる、としたうえ、オートバイ乗務による全身振動暴露による振動障害と診断した(以下「若葉診断」という。)。
(五) なお、原告は、昭和五三年八月三一日にも、社団法人労災・職研センターの健康調査を受け、従前と同じような痛み、しびれを訴え、第三ないし第五指が一〇日に一回の割合で白くなる旨説明した。循環機能と筋力、敏捷性が検査された。
13 原告は、その間、昭和五二年五月から、中村医院に通院を始めた。頸椎後縦靱帯骨化症、右特発性呼吸筋麻痺、心不全疑いと診断された。同年七月には、便秘症のほか多発性骨嚢胞症との診断が加わった。同年八月五日、頭が激しく痛み、吐き気がし、立っても座ってもいられなかったので、救急車で中村医院に入院した。同年九月には、痛風と診断され、中村医院には、昭和五五年一二月まで入院した。
14 原告は、中村病院入院中の昭和五三年八月二八日、郵政省の指示で振動障害の有無を調べるため、岩見沢労災病院の診察を受けた。安野義昌医師、山口貢医師、長束松一郎医師及び齊藤幾久次郎医師の四名が共同診断し、後記四の3の(一)及び(二)記載の通達及びその解説に沿った詳しい検査を行った。末梢循環器障害は皮膚温、爪圧迫ともに軽度(末梢循環器障害の検査結果は、常温下の皮膚温正常、冷却負荷中の皮膚温の低下有、冷却負荷後皮膚温の回復遅延有、爪圧迫が常温下回復遅延無、冷却負荷後の回復遅延有であった。)、末梢神経障害は痛覚、振動覚ともに中等度、運動機能障害は中等度の所見を得たうえ、その他の所見を総合し、振動障害は診断が確定できないため経過観察、バージャー氏病疑い、五十肩と診断した(以下「五三年齊藤診断」という。)。
15 原告は、昭和五五年一二月五日、北海道大学医学部附属病院登別分院に入院し、昭和五六年一〇月八日、北海道大学医学部附属病院に通院した。昭和五八年一二月、北海道大学医学部附属病院に入院し、右肩と股関節の手術を受け、右肩と股関節の状態は改善されたが、手、肘のしびれは依然残った。
16 原告は、昭和五九年一一月から、札幌医科大学附属病院に移り、以後、入通院を繰り返している。
17 原告は、札幌医科大学附属病院の指示により、振動障害の有無を調べるため、再度、岩見沢労災病院の診断を受け、この際にも、後記四の3の(一)及び(二)記載の通達、解説に沿った検査がされた。原告は、その際、自覚症状として、昭和五二年二月一七日から昭和五五年まで第四、第五指に白ろう現象が起き、現在も第四、第五指にしびれがあり、両肩等に痛みがあると答え、質問項目すべてに異常ありと回答した。末梢循環機能検査の結果によれば、常温下の手指皮膚温に軽度の障害、冷却負荷の下での皮膚温に高度の障害が見られたが、爪圧迫の結果は、常温下、冷却負荷後ともに回復遅延無しであった。また、X線撮影の結果によれば、頸椎椎間板の変成、頸椎後縦靱帯の骨化が認められた一方、原告がしびれを訴えた部位である尺骨神経領域の神経伝導速度は正常で、尺骨神経麻痺の診断はできないとされ、安野義昌医師、加治浩医師、長束松一郎医師及び齊藤幾久次郎医師は、昭和六一年五月二〇日、末梢神経障害及び運動機能障害はいずれも認められるものの末梢循環障害は認められないという所見から、循環障害の確証に乏しく、振動障害とは言い難い、と共同診断した(以下「六一年齊藤診断」という。)。
18 原告の訴える白ろう現象が主訴以外に確認されたことはない。
なお、原告は、昭和五一年五月以前から、両手、両肩、両ひじ、腰、股関節に痛みがあり、昭和四九年ころには、しびれや肩の痛みにより夜も眠れない状態が続いたと供述する部分がある。しかしながら、前記2で認定した事実及び前記認定の昭和五〇年一一月、一二月当時の診断名に照らし、右原告本人の供述は採用できない。
四 振動障害
被告主張4(一)の事実は、当事者間に争いがない。
(証拠略)に弁論の全趣旨、右の当事者間に争いがない事実を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 振動障害とは、振動工具等の身体に振動を与える機械器具を使用する業務に従事したため生じる疾患である。手指、前腕等にしびれ、痛み、冷え、こわばり等の自覚症状が持続的又は間けつ的に現れ、手指、前腕等の末梢循環障害、末梢神経障害及び運動機能障害が現れる(振動障害の症状が、末梢循環障害、末梢神経障害及び運動機能障害に限られるか、中枢神経系の機能障害にまで及ぶか、について、医学的見解には争いがあるが、労働省が設置した振動障害の治療等に関する専門家会議は、昭和六一年七月、振動障害の症状は末梢循環障害、末梢神経障害及び運動機能障害に限られることを前提とする検討結果報告を提出している。)。レイノー現象(いわゆる白ろう現象で、全身が寒冷にさらされ、冷感を覚えたときなどに、手指の血管が収縮し、手指が蒼白になる現象をいう。)が最も特徴的な症状である(もっとも、レイノー現象は、振動障害特有の症状ではなく、レイノー病、膠原病等においても発生することがある。)。振動障害特有の症状はなく、レイノー病、バージャー病、頸椎の退行性変化に基づく神経炎及び血管の障害(後縦靱帯骨化症を含む。)等様々な類似疾病との鑑別の必要があり、振動障害の正確な認定には、内科系、整形外科系の医師による合議を経るのが妥当であるとされている。
2 振動障害に関する報告は、戦前からあった。しかし、振動障害が社会的に問題となったのは、昭和四〇年に国有林でチェーンソーを使用する労働者に振動障害が発生していることが発表されてからである。
バイクに乗務する郵政省の職員の振動障害については、昭和四一年ころから報告されるようになり、昭和五二年以降、郵政省の職員の中に振動障害による公務災害の認定を受けた例が生じた。
3(一) 労働省は、昭和五二年五月二八日、振動障害の業務上外の認定基準について、おおむね次のように通達(基発第三〇七号)した。
記
さく岩機、鋲打機、チェンソー等の振動工具を取り扱うことにより身体局所に振動ばく露を受ける業務(以下「振動業務」という。)に従事する労働者に発生した疾病であって、次の1及び2の要件を満たし、療養を要すると認められるものは、業務上の疾病として取り扱うこと。
1 振動業務に相当期間従事した後に発生した疾病であること。
2 次に掲げる要件のいずれかに該当する疾病であること。
(1) 手指、前腕等にしびれ、痛み、冷え、こわばり等の自覚症状が持続的又は間けつ的に現れ、かつ、次のイからハまでに掲げる障害のすべてが認められるか又はそのいずれかが著名に認められる疾病であること。
イ 手指、前腕等の末梢循環障害
ロ 手指、前腕等の末梢神経障害
ハ 手指、前腕等の骨、関節、筋肉、腱等の異常による運動機能障害
(2) レイノー現象の発現が認められた疾病であること。
(二) 右通達は、担当部課により、次のように解説されている。
(1) 振動障害の自覚症状としては、右の2の(1)に掲げるもののほか、不快感、手掌発汗、筋肉痛、肩こり、頭重感、頭痛、不安感、睡眠障害等がみられることがある。
(2) 末梢循環障害、末梢神経障害及び運動機能障害の把握は、原則として、次の検査による。
末梢循環機能検査
常温下及び冷却負荷の下での手指の皮膚温
常温下及び冷却負荷の下での爪圧迫
末梢神経機能検査
常温下及び冷却負荷の下での痛覚
常温下及び冷却負荷の下での指先の振動覚
運動機能検査
握力
維持握力
つまみ力
タッピング等
(3) レイノー現象の確認は、医師が視認又は客観的な資料によってその発現の有無について判断したところによる。
4 振動障害の専門医によれば、振動障害の加害因子がなくなれば、症状は進行しないとされ、骨関節の運動機能障害は不可逆的で、経時的に改善する見込みがないが、末梢循環障害、末梢神経障害は、相当改善する可能性があるとされる。
第二 第一で認定した事実を前提に、原告の本訴請求の当否について検討する。
一 原告は、昭和五一年四月八日から昭和五六年一月五日までの休職(以下「本件休職」という。)は、バイク乗務に起因する振動障害を原因としており、原告は、公務上の災害によって休職したものであると主張する。
二 確かに、前記認定の事実中には、次のとおり、一見すると右の原告の主張を認定させるのに傾くかに見える事実がないでもない。
すなわち、
1 原告は、昭和三八年ころから昭和五〇年一一月初めまでの長期間にわたり、バイクに乗務し、振動障害の原因となりうる機械を使用する業務に従事していた。
2 原告は、昭和五一年五月ころから、背、胸、頸部、腕、手首等に痛みやしびれを訴えており、検査の結果によっても、ある程度の抹消(ママ)神経障害、運動機能障害が認められ、また、医師に白ろう現象が起きたと申告しており、原告には振動障害の症状と評価されうる可能性のある症状(以下「本件症状」という。)、主訴がないでもない。(もっとも、昭和五一年五月以前から本件症状が現れていた、との原告本人の供述が採用できないことは、すでに説示したとおりである。)
3 本件症状は、若葉診断において、バイク乗務による振動障害であると診断され、勤医協札幌病院でも、振動障害の疑いと診断されている。
三 しかしながら、前記認定と前掲各証拠によれば、次の諸点が明らかであり、前記第一で認定した事実関係とも対比すれば、前記二の各事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果によって、本件症状がバイク乗務に起因する振動障害であると認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、結局前記一の原告の主張は証明がないといわざるをえない。
1 原告の白ろう現象は、客観的には全く確認されておらず、原告の主訴に表れる(ママ)ているのみであり、原告が本件の本人尋問においてその時期、回数等について供述するところも甚だ曖昧であり、直ちにその供述するところを採用して、原告に白ろう現象が生じたと確定するには無理がある。
2 振動障害の症状は、加害因子が除去されたのちは、一部に改善する可能性はあっても、悪化する可能性は乏しいと見られている。ところが、原告がバイク乗務を停止して休職したときの病名は、心臓及び肝臓の機能障害を窺わせるもので、振動障害を疑わせるものは全く見当たらず、振動障害の評価を受けうる本件症状が初めて原告から訴えられたのは、バイク乗務をすることがなくなってから約半年を経過してからのことであって、それまでに行われた職場での健康診断においても原告からこれに類する身体の異常が申告されたことはないことが明らかにされている。これらの点は、本件症状とバイク乗務との間に因果関係がないことを示唆するというべきである。(なお、1のとおり、原告に白ろう現象が生じたと確定することは無理であるが、原告の供述どおり、昭和五二年二月一七日に初めて白ろう現象が発現したとしても、その発現は、バイク乗務の停止から一年以上経過したのちのこととなり、これとバイク乗務との間に因果関係があるということも難しい。)
3 振動障害の症状は、特有の症状がなく、他の類似疾病との鑑別の必要性があるとされている。ところで、本件症状を訴え始めたころ、原告は既に五〇才台後半で、ほどなく還暦を迎える年齢に達していたが、原告は、この前後ころ、振動障害の症状に含まれようもない症状を含め実に多様な自覚症状を訴えて多種の専門医を訪ねて受診を重ねており、本件症状は、いわゆる初老期独特の加齢により体調に変化を来しやすい時期に発生したと見ることができる。そして、診療に当たった医療機関は、前記二の3の若葉診断を除いて(なお、勤医協札幌病院は振動障害疑いとともに)、それぞれ振動障害以外の診断名を付しており、その中には、頸椎後縦靱帯骨化症、円背による項背筋痛等のように、振動障害以外で本件症状を引き起こしうる傷病名も含まれている。
したがって、本件症状が振動障害以外の疾病によって齎されたと説明してもあながち無理な説明ではないということができる。
4 勤医協札幌病院の診断は振動障害の疑いとして、振動障害の可能性を示唆するにとどまっているのみならず、同時に本件症状をほぼ説明し尽くす頸椎後縦靱帯骨化症を傷病名に掲げており、この診断により本件症状を振動障害と認定するには足りないというほかない。
そして、若葉診断は、通常振動障害の判定の際に行われる冷却負荷による末梢循環機能検査と常温下での爪圧迫検査をしないまま判断されたもので、その判断資料が不完全であることは否定することができない。しかも、同一医師がほぼ同一の検査結果に基づいて判定した約半年前の診断結果によれば、本件症状は、振動障害というより、脊髄、中枢神経系の障害の可能性が強いとされているのに、若葉診断で振動障害と認定が変更された理由について十分に納得させる説明があるとは言い難く、若葉診断があるからといって本件症状を振動障害と認めることも難しいといわなければならない。
5 これに対し、五三年齊藤診断、六一年齋藤診断は、いずれも通常踏み行われる詳細な検査を逐げたうえ、専門医による共同診断の結果、振動障害特有の障害を認定するには足りないと判断し、振動障害と診断することは無理であると診断したもので、その判断に必要な資料の収集は十分であるとみられるし、判断の経過に不合理な点は見当たらず、判断の結果は正当なものというべきである。
第三 結論
よって、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 成田喜達 裁判官 小林正明 裁判官 大野正男)